ブログ内検索

カテゴリー

最近の記事

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

アロマ日記
日々の生活の中でのアロマテラピーとの繋がりを綴る、アロマブログです。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カルダモンその2
昨日の続きの、ハーブスパイス館―Herb & spice bookで調べたカルダモンの詳細です。

カルダモン(cardamon)
学名 Elettaria cardamomum
科名 ショウガ科
和名 ショウズク
利用部位 完熟前の果実を乾燥させる(使用時は種子)。緑色の濃いグリーンカルダモンがもっとも良質とされる。
原産地 インド南部
利用法 カレーの主原料となるほか、ソース、ドレッシング、ピクルス、肉・魚料理の臭み消し、あるいは菓子などの香り付けとして粉末状で広く利用されている。またコーヒーや紅茶にもよく使われる。カルダモンコーヒーは、さやごと煮出した湯で芳香をうつしたコーヒー。中近東では歓待の意といわれる。紅茶も同様にいれる。ワインなどに香りを加えてもおいしい。
効能 唾液や胃液の分泌を促し、口臭消しや消化促進の作用がある。アラブ諸国では、消化を助け、身体を冷やし、また媚薬としての効果があるといわれている。
植物の概要 紀元前8世紀、バビオリニア王国のバラダンⅡ世の庭園には、いくつかのスパイスとともにカルダモンが植えられていたと伝えられる。「香りの王様」ともいわれ、サフラン、バニラに次ぎ高価にもかかわらず人気が高い。北欧でも多く消費されているが、これはバイキングの時代に東方から持ち帰ったのがきっかけとなり広まった。
(ハーブスパイス館―Herb & spice bookより)
スポンサーサイト

テーマ:アロマテラピー - ジャンル:心と身体

カルダモン
この記事を閲覧するにはパスワードが必要です
パスワード入力

洗濯その2
この記事を閲覧するにはパスワードが必要です
パスワード入力

東方貿易
昨日の十字軍のついでなので、今日は東方貿易についてです。

東方貿易
古代から中世にかけ、ヨーロッパ諸国が地中海を通じて中近東およびアジア諸地域と行った貿易。ローマ帝国初期から盛んになり、初めは陸路が中心だった。3世紀からはペルシア人、7世紀からはアラブ人が中心。十字軍遠征後はドイツ、イタリアの商人の進出が目ざましく、いわゆるレバント貿易の時代に入る。


レバント(*)貿易
レバントは「日の上る方向」の意で、中世後期の西欧とその東方、シリアや小アジア方面との貿易をいう。11~12世紀以降のベネチア、ジェノバなどのイタリア商人が主として従事。東方のコショウなどの香辛料のほか絹・綿織物などを、西方の銀や毛織物などと交換した。この貿易は16世紀の新航路発見により衰微。

(マイペディアより)

香辛料や絹・綿織物などを銀や毛織物と交換って、当時はコショウやスパイスがそれくらい価値が高かったんですね。
Wikipediaに香辛料と歴史について紹介されているのですが、とても興味深い内容でした。

*レバント
地中海の東部沿岸地方。元来はフランス語やイタリア語で「日の上る方向」を意味し、シリア、レバノンなどを中心にギリシア、トルコ、あるいはエジプトを含める地域をさす。西ヨーロッパに都市が成長し、ビザンティン帝国やイスラム世界との活発な通商関係が成立した13~14世紀に生まれた概念。

(マイペディアより)

テーマ:アロマテラピー - ジャンル:心と身体

十字軍
アロマの歴史を勉強していると、ちょこちょこ出てくる十字軍(1095年~1291年)について、マイペディアで調べてみました。
アロマの歴史で出てくる十字軍の説明の主なものとしては、
十字軍遠征(1095年~1291年)により、東西文化が交流し、ハーブや薬草、アラビア医学、精油蒸留法などがヨーロッパに伝わる。
です。

十字軍
広義には中世ヨーロッパにおけるキリスト教徒の異教徒・異教端者との戦い。狭義には11~13世紀にヨーロッパ諸国民がキリスト教発祥の聖地パレスティナをセルジューク・トルコの占領下から解放するとして行った遠征をさす。
1095年教皇ウルパヌス2世はクレルモン公会議でこの遠征を宣言し、十字架を戦士の標識と定めた。
第1回(1096年~1099年)は隠者ペトルスの巡礼群を最初とし、次いで教皇代理アデマール司教の統率下にゴドフロア・ド・ブイヨンなどフランスの騎士群が遠征した。小アジアにアンティオキア公領、エデッサ伯領、1099年エルサレム占領に成功してエルサレム王国を建設、1102年にはトリポリ伯領を建設した。これらを聖地四国という。このときテンプル騎士団、ヨハネ騎士団成立。
第2回(1147年~1149年)は聖ベルナールのすすめで、フランス国王ルイ7世、神聖ローマ皇帝コンラート3世がダマスクスを攻めたが失敗した。
第3回(1189年~1192年)は1187年イスラム側のサラーフ・アッディーンがエルサレムを占領したのに対し、リチャード1世、フリードリヒ1世、フィリップ2世の英・独・仏3君主が出陣し、アッカー(アッコ)を臨時首府としてエルサレム王国を再建した。しかし、聖地奪回には失敗した。ドイツ騎士修道会成立。
第4回(1202年~1204年)は聖地へは向かわず、ベネチア商人のすすめでハンガリー、ビザンティン帝国を攻撃、コンスタンティノープルを占領してラテン王国を建設した。
第5回(1217年~1221年)はフランス貴族ブリエンヌらがエジプトのアイユーブ朝を攻めたが敗れて全軍捕虜となった。
第6回(1228年~1229年)は神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が外交交渉で一時エルサレムを回復したが、間もなくホラズム・トルコに奪回された。
第7回(1248年~1254年)はフランス王ルイ9世が指揮してエジプトを攻めたが王自身が捕虜となった。
第8回(1270年)もルイ9世が指揮してチュニスを攻撃したが王の病死で失敗し、1291年アッカー(アッコ)が陥落して聖地諸国は全滅した。
この間には少年十字軍(1212年)と呼ばれるものもあり、14世紀以降も十字軍は続けられたがオスマン帝国の興隆にはばまれ全面的に失敗に終わった。しかし十字軍の結果、教皇権の失墜と封建貴族の没落により王権が伸張し、東方貿易の繁栄によりアラビア文化・化学が伝播し、西欧諸都市の勃興をもたらした。
なお、13世紀初頭南フランスのアルビジョア派を討伐したものをアルビジョア十字軍と呼ぶこともある。

(マイペディアより)

テーマ:アロマテラピー - ジャンル:心と身体


カレンダー

04 | 2009/05 | 06
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

広告

参考書籍

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。